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  • alpoetzsch

自分の道を選ぶという挑戦

挑戦にはいくつかのタイプがあります。「したい」と思って取り組むものや冒険のようなものなどです。この記事で取り上げられている「挑戦」というのは、必ずしも「私自身がチャレンジしたい」というものではありません。ここでは「挑戦」を、高校卒業後の多くの若者が直面する障害や選択という意味で扱いたいと思います。そのため、私はこの記事で私自身のドイツでの大学生としての体験と「挑戦」について伝えたいです。

高校を卒業してから、人生が大きく変わっていきます。12年間の一般教育の後(ドイツの場合は少なくとも9年間の義務教育が必要)、たてた目標や興味を基に自分の道を見つけて選ぶという挑戦が迫ってきます。

高校の最後の学年の頃、大学に進学するつもりでしたが、するべきことや将来なりたいことは私にとってまだ不明瞭でした。そのため、最初は何がしたいかまだ分からない卒業生によく選択されている「教育課程」という専攻に入ろうと思っていました。もし教員になったら、文系を選びたいと思っていたので、ドイツ語、英語と倫理学という科目の課程を目指していました。

しかし、様々な選択肢を考えた結果、結局は教育課程を選ばず、他の専攻にしました。私が選んだ道はライプツィヒ大学の日本学科に応募することです。その選択は比較的珍しく、意外な選択や冒険とも呼べるかもしれません。これが私の最初の大きな挑戦です。


初めての一人暮らしという挑戦

無事ライプツィヒ大学の日本学科への入学が決まり、どこで、どのように暮らすかという選択をすることになりました。ライプツィヒという街は私が生まれ育ったドレスデンという州都から約100㎞離れているので、両親の家を出て一人で暮らさなければいけません。両親の家を出て、引っ越すということは「言うは易く、行うは難し」なので、これも挑戦と見なせるかもしれません。

家探しという問題に取り組む前に、どうやって暮らしていきたいかという選択もありました。

大学生の場合、一般的に、学生寮、ルームシェア、または一人暮らしという三つの選択肢があります。他の大学生の様々な人生計画を見比べ、私は一人暮らしをする選択をしました。

その選択をした理由はいくつかあります。まずは、学生寮は一時的な場所にしか見えないと思ったからです。他に比べて非常に安いという利点はありますが、ドイツの寮は狭くて、家具と設備がよくなくて、あまり綺麗ではありません。一時的なら、無難な選択肢だと思いますが、私には数年間の長く暮らす場所とは思えませんでした。

第二に、ルームシェアは部屋が寮より広く、費用対効果も良いかもしれませんが、私自身の自由が恐らくあまりないだろうと思いました。一見したところ、ルームシェアは「これ、面白そう」と思うかもしれません。ルームシェアをしている友達や知人のアパートに行った時、私もそう考えました。しかし、ルームシェアをすると、個人の自由がやはり制限されると比較的早く気づきました。特に赤の他人とルームシェアをするなら、この障害が社会的な利益より大きいと思います。親しい友人なら、話は別ですが、残念なことにそれは私の選択肢にはありませんでした。

結局選んだ最良の選択肢は一人暮らしでした。しかしながら、一人暮らしには二つの基本的な問題があります。一つはお金の面で、支払いができるかどうか、そしてもう一つは寂しくなる可能性があるというところです。後者については、毎日大学に通って、友達と時間を過ごして、いつでも遊びに招待できるので、寂しくなるはずがないということが明らかになりました。お金の面では、私の両親は金持ちだというわけでは全然ないので、奨学金などに頼るしかできません。

幸いなことに、ドイツという国の福利厚生は比較的寛大で、大学生たちが勉強に集中できて、親の負担にならないように奨学金などで援助されています。そのおかげで、誰しも割安なアパートの家賃は支払えるはずです。また、私が住んでいるドイツの東の家賃の平均は西や首都のベルリンほど高くないので、無事手頃な価格の部屋を見つけることができました。


日常生活の挑戦

18歳の私が一人暮らしにだんだん慣れてきた頃、想像していなかった新たな挑戦が降りかかってきました。大学のこと以外の時間をどうやって過ごすかということです。この課題は完全に自由(私次第)なので、自分の人生を管理する責任を取らなければなりませんでした。

例えば、買い物と食生活の面が挙げられます。健康のため、ピザやインスタントラーメンではない料理の作り方を身に付けなければなりませんでした。いくつか作れるようになりましたが、いつの間にか単調になってしまいました。嬉しいことに、私は今暇な時間を主として私の彼女と過ごしています。彼女は栄養に気を付けているので、私に「しっかりして」とよく言います。私より速く、効率よくできるので、豊富な経験がある彼女がたいてい料理を作っています。もちろん私も時々料理を作ってみますが、経験が明らかに欠けています。そこで、自分の能力を磨いて、料理を作る頻度の均衡を達成する挑戦をすることに決めました。そのため、最近インターネットでよくレシピを調べて、作っています。

他には生活必需品以外のもの、例えば趣味や遊びなどの費用が挙げられます。お金の使い方は今でも取り組まなければならない問題です。私は 19歳でクレジットカードを申請して、取得できました。そのカードが最終的に敵か味方か、まだ分かりませんが、それをきっかけに、お金の節約や気を付けなければならない点について色々と学びました。無駄遣いしすぎないように気を付けて、健康に注意しながら良い生活を送れるようにお金を使うことが最も効率的だと思います。結局のところ、そのような良いバランスを見つけなければならないと思います。

私が選んだ日本語の勉強という挑戦

既に述べたことですが、上記の全ての挑戦の発端は日本語の勉強に挑戦したいという気持ちにあります。

英語やローマ系の言語に比べると、日本語が話せる人は比較的珍しいです。ですが、私は子供の頃にポケモンなどの日本製ゲームの魅力を感じてから、アニメや漫画にも興味を持つようになって、最終的に日本と日本語自体への興味も徐々に増えていったので、日本学科に入る挑戦をしました。安全な教育課程に入るという選択にかわって、リスキーな道に挑みました。その当時、私はひらがなとカタカナはある程度読めましたが、それ以外は何もできませんでした。

色々と努力は必要でしたが、同級生の中で簡単に良い成績を取れるグループに属していると比較的早く分かりました。幸いなことに、高校の頃の英語クラスで外国語の勉強が得意だということに気づきました。日本語とその文字自体に興味があるおかげで、漢字文化圏に関係ない西洋人にとっての最大の障害、漢字も乗り越えられて、今では漢字のファンと呼ばれることもあります。

もちろん、日本語の勉強は今も続いています。むしろ、改善していきたいところは無数にあり、将来翻訳家になるためにこれからも一生懸命頑張ります。次の挑戦は、日本語能力試験に参加したことがないので、「N1」の試験を受けて、合格することです。


挑戦の振り返り

もし、日本語の勉強に挑戦する勇気がなかったとしたら、今、愛知県立大学の交換留学生になっていなかったでしょう。日本語の勉強と日本学科に入ったおかげで、日本人留学生と知り合って、新しい友達を作って、今付き合っている彼女に出会うことができました。だからこそ、自分に挑戦して、日本学科に入学するリスクを冒すのはこれまでの人生で最良の選択だったと信じています。


お読みくださりありがとうございました!

「私の挑戦」というテーマで「挑戦」を自分なりに解釈してこの記事を書きました。もし宜しかったら、記事に関するご感想を送っていただけたら嬉しいです。とりわけ、これまでの人生の中や日常生活の中で、普通は挑戦とみられていないにもかかわらず、挑戦だと感じた選択などについてお聞きしたいです。もしあれば、ぜひお教えください!





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