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コロナ禍の生活:日本語を勉強しているドイツ人大学生の視点


政府も、大学も、教師も、学生も、世界中の誰しもが2020年の国境を越えた新型コロナウイルスの出現に虚を突かれてしまいました。

これまでに多数のロックダウンや日常生活の制限に関する対策が制定されてきました。そして、もちろん大学にもコロナウイルスの拡大を避けるために、厳しい規制が宣言されました。

対面授業を完全に捨て去るのが、最も抜本的な対策でした。対面授業の代わりにオンラインでの遠隔授業が始まりました。世界中の学生は皆この急激な変化を経験しなければならなかったのです。

この記事では、私自身の個人的な経験に基づいて、新型コロナウイルスによる生活の変化とその結果について語ってみたいです。どうぞお楽しみください!


ドイツで具体的に何があったか


新型コロナウイルスという感染症が段々2019年末から2020年初めの頃に全世界で広まって、蔓延し始めました。

2020年の春に新型コロナウイルスの拡大がドイツに及んでくるにつれて、いわゆる第一波をきっかけに第一のロックダウンが実施されました。それ以来、コロナとその対策によって生活に影響を与えられなかった者は一人もいないに違いありません。残念なことに、その異変は未だに続いています。


大学生にとっては最も激しい変更は大学に通わなくなったことだと思います。

私が通うドイツのザクセン州のライプツィヒ大学では、教師たちがだんだんオンラン会議に慣れて、授業がZoom等のソフトウェアで行われることになりました。

それに応じて、日本学科での日本語の授業も一貫してZoomでの遠隔授業になりました。私はその日本語の授業をこの記事の焦点にしたいと思います。


まずは、ドイツの大学の制度を説明しておきたいです。ドイツの大学は、10月から3月までの「冬学期」と4月から9月までの「夏学期」に分けられています。普通、大学の一年学年は冬学期の10月1日に開始します。


2020年4月当時、私は2年生でした。入学からその時点までの3学期間はいつも優等生のつもりで学期末試験に高点数で合格できていました。4学期が始まった以降、同級生や先生との交流が減少したり、日本語能力を向上させたいという動機も徐々に弱まっていったりしてしまいました。なぜなら、オンラインでは相槌を打つのが難しくて、話せる機会が対面授業より少ないと感じたからです。

その時、誰しもこのオンライン授業の状態が1年半(3学期間)連続していくということを予想できませんでした。


しばらくすると、私も同級生皆もだんだん遠隔授業に慣れてきました。正直に言えば、そのやり方にも様々な良さや利点があることに気づきました。例えば、便利な画面共有の機能でプレゼンテーションをすることやグループワークをすることのハードルが低くなりました。そして、皆がそもそもパソコンの前に座っているので、日本語や他の言語を学ぶ時、いつでも言葉の意味や使い方を検索することも簡単にできるようになりました。しかし、最も大きなメリットは通学時間が無くなるということだと思います。そのおかげで、私が嫌いな早起きの必要も大体なくなって良かったです。


嬉しいことに、私は遠隔授業の頃にも日本語の試験に比較的何事もなく合格できて、良い成績がとれました。それにもかかわらず、全体的に何かが欠けていたと感じられました。

欠けていたのは、大学生としての日常生活だと気づきました。例えば、友達と食堂へ食べに行ったり、教室で喋ったりすることが全て無くなってしまいました。一般的に言うと、コロナ禍の前にあった社会的交流の不在が最も大きい不満点でした。


人数が多い講義の場合はオンラインになってもかまわないと思いますが、人数が少ないセミナーや私達の日本語授業の場合は遠隔授業が強い影響を与えてしまいます。

例えば、ライプツィヒ大学の日本学科の学生は比較的少ないので、普通の対面授業では問題を解決するのに、いつでも気軽に隣の学友や先生に質問することが簡単にできます。しかし、オンラインではそれができません。

その事実に気づいた時、学生も先生も対面授業に戻りたい気分について同意できました。しかし、対面授業に戻るのは不可能だったので、無くなったものを他の解決策で埋め合わせることが重要になりました。


どんな解決策を試してみたか


もちろん、孤独感に対する最も大切な一歩は、もちろんグループでの活動です。

例えば、コロナ対策による制限が特に厳しかった時、私達は同級生皆でオンラインでゲーム

をしました。また、2020年の夏に制限が特に緩和された時、感染リスクを減らすために公園で集まって、昔のように日本語の授業に一組で(パソコンで)出席したり、先生も参加した飲み会をしたりすることもありました。非常に楽しかったので、今でもそのイベントを思い出すと、嬉しくなって思わず笑顔になってしまいます。無論、それぞれの会では法律遵守をできるだけ気を付けました。


他には、夏が終わって秋が始まった時、私はよくいわゆる「タンデム会」をしました。タンデムというのは二人が同時に乗れる自転車のことです。しかし、「タンデム会」というのは、自転車のことではなく、母語が違う学生がお互いの宿題を手伝ったり、お互いの言語の知らないかもしれない特徴について教え合ったりして、それぞれの外国語で話す練習のことです。例えば、私の場合、カフェなどで会って日本人留学生が日本語を教えてくれたり、私がドイツ語を教えてあげたりしました。


結局のところ、コロナ禍の様々な制限がある中でも、私は自分のクラスの中や、日本人留学生の中に、練習仲間を探しておくことで、友達を見つけたり、友情を強めたり、深めたりすることができました。

私にとってはコロナ禍は障害ではなく、むしろコロナ禍をきっかけに、日本語能力を上達させながら大切な関係ができました。人間関係の面では、新型コロナウイルスとその対策が私の大学時代に価値を与えてくれたとも言えます。

対面授業が最後まで全然なくても、そして日本留学が1年延期されても、そんなに悪くはありませんでした。



今までのことは私の経験に基づく私見ですが、読者の皆さまのご感想も知りたいと思っております。

お読みになって、今考えていることは私の考えと違ったことはあるでしょうか。お国の事態はどうでしょうか。

コメント等で教えていただきたいです!


お読みいただきありがとうございました!


(上記の述べた出来事やコロナ対策がドイツのザクセン州の事態だけについてです。 各州での事態や対策が異なる可能性があります)




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